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zoom RSS 久能山東照宮・久能城

<<   作成日時 : 2013/01/19 18:16   >>

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 東海道 駿河の国
 城 名 久能城
 別 称 久能山城
 所 属 南北朝時代・足利直義方
 築城年 1351
 築城主 入江春倫
     
 久能山東照宮
 別格官幣社
 祭 神
 東照大権現(徳川家康)
 とうしょうだいごんげん
 織田信長
 おだのぶなが
 豊臣秀吉
 とよとみひでよし



南北朝時代の観応2年(1351)観応の擾乱のときに足利尊氏と弟直義の戦いで直義方の入江春倫(駿河国入江荘の地頭)が久能寺を城郭に仕立てて久能城とした
永禄11年(1568)甲斐の武田信玄が駿河に進攻、今川氏真は遠江掛川城に退いた
信玄は久能寺を北矢部に移しこの山を城砦化し、北条水軍の動向を察知するため、家臣の今福浄閑斎・昌和父子を城番とした
天正10年(1582)徳川勢に攻められ開城、松平勝俊が城主となった  
天正18年(1590)中村一氏の家臣・松下吉綱が入った 
関ヶ原の合戦の後、榊原清政が城番となり子孫は久能山守衛総御門番として継承し幕末まで続いた
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信玄の築城時に軍師・山本勘助が掘ったとされる勘助井戸がある 表参道の1159段の石段を登りきるとかつての大手門・一ノ門がある
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推古天皇の時代(600年頃)久能忠仁が観音菩薩を安置し補陀落山久能寺を建立した
平安末期から鎌倉にかけ三百余の禅坊が建ち並び栄えていた
嘉禄年間(1225)多くの建物が焼失
永禄11年(1568)武田信玄は久能寺を北矢部に移し、久能城を築城
天正10年(1582)武田氏が滅亡し、駿河国は徳川領となった
元和2年(1616)駿府城で徳川家康が没すると、遺言により久能山に埋葬された
二代将軍秀忠は城を廃し、社殿を造営した
正保2年(1645)東照宮となる

東照宮へのリンク
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武蔵     佐野     上野(前橋)



訪問日 2012/12/24 遺 稿 建築遺構なし
入場料 500 駐車場 500 F1

本殿・石の間・拝殿は元和3年(1617)の造営で、平成22年国宝に指定
極彩色の総漆塗の彫刻などを施した桃山時代の技法による権現造り
楼門の額は後水尾天皇御宸筆で重要文化財
表参道の石段は海に面し、1159段ある
日本平山頂には無料駐車場があり、ロープウェイで5分(往復\1.000)
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