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zoom RSS 新府城・藤武稲荷神社

<<   作成日時 : 2013/08/25 15:33   >>

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 東海道 甲斐の国
 城 名 新府城
 別 称 韮崎城
 所 属 戦国時代・武田勢
 築城年 1582
 築城主 武田勝頼
     
 藤武稲荷神社
 勝頼神社・お新府さん
 祭 神
 倉稲魂命
 うかのみたまのみこと
 天照大神
 あまてらすおおかみ
 月読命
 つくよみのみこと
 保食命
 うけもちのみこと
 稚産霊命
 わくむすびのみこと
 武田勝頼公
 たけだかつよりこう



天正9年(1581)武田勝頼が真田昌幸に新府城の普請を命じる
韮崎は甲府よりも広い城下町造営が可能で、西側は七里岩・東側は塩川が流れる天然の要害に囲まれ、甲州街道や駿州往還・佐久往還・諏訪往還が交差し、釜無川の水運も利用できる交通要衝だった
年末には勝頼が躑躅ヶ崎館から新府城へ移り、甲斐の新府中とした
天正10年(1582)高遠城などが織田信忠軍・徳川家康軍により次々と落城
勝頼は新府城に火を放ち岩殿城に向かうが、織田軍の追撃に合い武田一族は滅亡した
信長が本能寺で死亡し、旧武田領を巡り徳川家康と北条氏直の争奪戦・天正壬午の乱が勃発
徳川家康は新府城を本陣とし、北条氏と対峙するが和議が成立
天正11年(1583)徳川家康は甲府城の築城を開始
天正18年(1590)後北条氏の滅亡により新府城は廃城となる
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訪問日 2013/08/09 遺 稿 建築遺構なし
入場料 無料 駐車場 無料 F1

文化3年(1806)拝殿改築の棟札によると、藤井庄と武田庄とを前後に見下す所に在るので藤武神社という
天正9年(1581)勝頼公が新府築城の節、城内稲荷郭に鎮守として祀ったが落城とともに焼失した
家康公が平岩七之助に命じて再建され、藤武神・稲荷神同殿に鎮座して藤武神社と称したという
藤武神社の北西には勝頼公霊社があり、武田氏滅亡後の貞享から元禄年間に勝頼神社を建立したのが始まり、その周囲には長篠で戦死した家臣の供養塔がある
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