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zoom RSS 村山浅間神社

<<   作成日時 : 2014/09/28 10:52   >>

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 村山浅間(せんげん)神社
 富士根本宮・富士山興法寺
 県社
 祭 神
 木花之佐久夜毘賣命
 このはなさくやひめのみこと
 2014_07_31



社伝によると孝昭天皇2年(AD474)に中腹の水精ケ岳に創建され、応神天皇朝に社殿修造、大宝元年(701)に現在地へ遷座したという
中世になると末代上人が富士山を修験の霊山として開き、鎌倉時代に頼尊が現境内に富士山興法寺を構え神仏習合の地として発展した
興法寺は単独の寺ではなく、大日堂、村山浅間神社、大棟梁権現社などにより構成され村山三坊によって管理された
村山浅間神社は富士根本宮・七社浅間とも呼ばれ、神号は浅間大菩薩であった
七社浅間とは浅間大菩薩・三嶋大明神・箱根大権現・伊豆大権現・伊勢大神宮・熊野三所大権現・白山妙理大権現である
大棟梁権現社は高根総鎮守と称し元は村山浅間神社の摂社で元の祭神は末代上人
浅間本宮大社と並び諸国から多くの修験者が集まった
駿河国を領した今川氏も深く崇敬し、江戸時代には高松藩主松平家を始めとする大名や旗本も寄進した
宝永4年(1707)の宝永大噴火で、村山口登山道や興法寺の建築物は全壊したが、後に再建された
明治元年(1868)の神仏分離令により山伏は還俗し、大日堂は分離された
村山浅間神社は一時富士山本宮浅間大社の摂社となり、明治7年頃に根本宮浅間神社とした
明治4年に大棟梁権現社も場所を移して富士大神社と改称し、祭神を大己貴命とした
これにより、富士山興法寺は大きく衰退した
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「富士山−信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている
本殿の隣の大日堂は江戸時代末期の旧興法寺本堂で大日如来を祀る(修復中)

富士登山道の1つ、村山口(むらやまぐち)登山道は大宮町が起点の登山道で、万延元年(1860)に英国特命全権公使のラザフォード・オールコックが外国人として初登山を行った
明治時代には廃仏毀釈により登山者が大きく減少し、明治39年(1906)に新大宮口が開かれるとほとんど使われなくなった

富士山の夏山シーズンは7月1日から8月31日までで、9月以降は気温が低下するため降れば雪で、携帯電話の中継局も撤去され、山室も店じまいしトイレが利用できない

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神仏習合の趣を残す寺社へのリンク



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