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<<   作成日時 : 2017/08/06 10:38   >>

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 雄山神社
 越中国一宮
 式内小・国幣小・別表神社
 祭 神
 伊邪那岐神
 いざなぎのかみ
 天手力雄神
 あめのたぢからおのかみ
 2017_06_14




大宝元年(701)景行天皇の後裔で越中国の国司・佐伯宿祢有若の子、佐伯有頼(慈興上人)が白鷹に導かれ、雄山大神の神勅を奉じて開山造営されたと伝わる
大宝3年(703)釈教興が勧請したとも伝える
天平18年(746)万葉集の17巻に、越中国国司であった大伴家持によって立山の賦が詠まれた
南北朝時代の安居院の神道集では、越中国一宮とされている
建久年間(1190-1199)源頼朝が前立社壇本殿を再建
明応元年(1492)足利義稙が前立社壇本殿を改修
天正11年(1583)佐々成政が前立社壇本殿を再び改修

地獄谷や弥陀ケ原を含む立山連峰を神体とし、立山修験の場であった
三社で雄山神社で、どの社殿に参拝してもご利益は同じとされる
元明天皇や後醍醐天皇の勅願所でもあった
神仏習合の時代には仏教色の強い神社で、伊邪那岐神は立山権現雄山神(本地・阿弥陀如来)、天手力雄神は太刀尾天神剱岳神(本地・不動明王)とされた
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中宮祈願殿(ちゅうぐうきがんでん)
中宮寺・芦峅寺(あしくらじ)と呼ばれた
立山信仰では女人禁制だが、芦峅寺がその境界で、女人救済のための行事なども行なっていた
16世紀以降、信徒は諸国を廻り立山の縁起図と共に薬草や薬紛などを配置して翌年に代金を受け取るという、越中売薬の起源となる独自の組織を作った
峅は、神の降り立つ所を意味する
県立立山博物館が隣接している

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前立社壇(まえだてしゃだん)
平安初期に建てられた立山寺が前身で、江戸時代に岩峅寺(いわくらじ)と 改称し、明治期には雄山神社遥拝所とも呼ばれた
開祖・佐伯有頼が、立山権現の化身である白鷹によって導かれた岩窟の正面に位置し、この地より立山開山の伝説が始まった
脇を流れる常願寺川がたびたび水害をもたらし、流されたものを御神体とする神社が下流にいくつもある
本殿(重要文化財)を挟んで両脇に表鳥居・東鳥居と表神門・東神門が存在する

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峰本社(みねほんしゃ)
主峰雄山山頂(3,003m)にあり、旧暦の7月〜9月までしか参拝できない
歴代の加賀藩主・前田氏によって萬延元年(1860)までは神殿が保たれていた
平成8年(1996)136年ぶりに神殿が建替られた
立山黒部アルペンルート室堂ターミナルから徒歩約2時間(未登拝)


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